東三河ジオパーク構想

東三河ジオパーク構想

東三河ジオパーク構想

東三河の大地は、日本最長の断層帯「中央構造線」がつくる谷と川によって山と海が結ばれ、人々の豊かな暮らしを培ってきました。
また、東三河の大地は、学術的に貴重な地質や地形、美しい景観と豊かな自然環境に恵まれ、そこに生息する固有の生物や多様な人々の暮らしと文化を育んできた地域です。東三河の豊かな自然や歴史、優れた文化遺産を「共通の資源」としてとらえ、大地の成り立ちと人々の暮らしを結ぶ壮大な物語としてまとめ、新たな価値を創出することで、ジオパークを活用した教育活動の展開や、ジオツーリズムを通して東三河の活性化につなげていくことを目的に東三河ジオパーク構想の取り組みを始めています。

ストーリー(案)

愛知県の三河地方東部に位置する東三河は、日本列島形成2億年のドラマがつまった大地です。

日本最長の断層帯である中央構造線は、四国から紀伊半島にかけて東西に延び、プレートの衝突により東三河で大きく方向を変えて、北東の長野県へと向かっていきます。東三河を縦断するこの断層の右と左では、成因の全く異なる岩石が分布しており、地形と地質、植生などに多様な変化がみられます。

海底が隆起してできた渥美半島は、2億年ほど前の海底に堆積した岩石が顔を出します。その上には数十万年前の海の侵入や後退によって堆積した地層が積もり、今は太平洋の波に削られ長い砂浜と崖をつくっています。波静かな三河湾は日本有数のアサリの産地であり、干潟は渡り鳥たちの休息地になっています。

北部山間地の奥三河地域には、約1800万年前の海の時代に堆積した岩石と、約1500万年前の大規模な火山活動による岩石が分布しています。そして、今にいたる長い陸上での侵食は、険しい山並と深い谷や美しい渓谷をつくりました。山裾には扇状地ができ、中央構造線に沿った豊川(とよがわ)を流れる水は、谷や河岸を削りながら段丘や豊橋平野をつくり、三河湾に注ぎ、太平洋へとつながります。

このように複雑な成り立ちの大地は、多様で豊かな自然環境を生み出し、縄文時代から人の生活の場となり、貝塚が内湾に面して形成されました。やがて平野部を中心に農耕が広がり、実り豊かな「(ほの)(くに)」がつくられました。人々は山と川と海の道で行き交い、やがて人の流れは、南北をつなぐ伊那街道や別所街道、東西をつなぐ伊勢街道や東海道となっていきました。また、山あいの谷筋や集落ごとに特色をもつ奥三河の「花祭」や豊橋の「鬼祭」など、地域独自の文化を育んできました

豊かな川が流れ、人や物の交差地であった東三河は、戦国時代には武田、今川、徳川などの群雄がせめぎあい、多くの城や館が作られ、時に戦場となりました。中世から近世への歴史の転換点となった「長篠・設楽(したらが)(はら)の戦い」の展開にも、中央構造線が生み出した複雑な地形が影響を与えています。

また、東三河の人々は、明応、宝永、安政の大地震と津波、昭和の三河地震、伊勢湾台風と高潮、豊川の洪水と氾濫、土石流などの自然災害も経験し、それらを乗り越える知恵と努力を重ねて生活の基盤を整えてきました。昔も今も歴史や文化、くらしや産業で深く繋がり結びついた地域です。

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 愛知県の東部に位置する東三河は、日本最長の断層帯「中央構造線」がつくる谷と川によって山と海が結ばれ、人々の豊かな暮らしを培ってきました。
東三河の大地は、貴重な地形や地質、美しい景観と豊かな自然環境に恵まれ、そこに生息する固有の生物や多様な人々の暮らしと文化を育んできた地域です。

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